ものを拾う動作
ものを拾う動作の評価、動作分析、アプローチ、指導をしていますか?
1日3回ものを拾うとします。
1週間で21回。
1ヶ月で90回。
1年で1080回。
ものを拾う動作の身体機能、各関節可動域、筋力、運動連鎖、バランス能力、感覚系、神経系…
診るところは沢山あります。
このように股関節、膝、脊柱の屈曲を伴う動きが多いと思います。
そして起き上がらないといけないので、ここから伸展へと可動していきます。
これを毎日繰り返しているわけです。
製品の耐久検査と同じくこの動きを何年、何十年と繰り返していたらどうでしょうか。
年齢とともに筋力や可動域は低下していき、運動連鎖や身体機能、円滑性は崩れていく。
簡単にできる姿勢は無理な姿勢であることが多く、長年の蓄積による身体負担は計り知れません。
ものを拾うときにもっとも効率の良い動き、身体負担が少ない動きはどれなのか。
なぜ正しい動きができないのか。
症状による遂行可能な動作はどれなのか。
この2つは腰痛指導、THAの脱臼予防指導などでよく行うと思います。
これを日常生活に使用していく。
ただし、普段からこのようにものを拾う人はどれくらいいるのでしょう?
痛みが出てから、脱臼しないためには。
だけではなく、予防の観点からも正しい日常生活動作を知る必要があります。
子供の動きは素晴らしいですね。
いつも勉強させられています。
まさに教科書通りの正しい動作をしている。
必ず身体機能を最大限使用します。
別の機会に紹介しますが、小学生の腰痛は増えています。
なぜでしょうか?
私はものを拾うときは片脚スクワットをしたりします。
最初にも述べましたが、
例えばリーチ動作、片脚立位、スクワット動作なども関連するため評価する必要がある。
まずはセラピストが普段の動きを意識してみてはどうでしょう。
自己管理→他者管理です。
交感神経-免疫のクロストーク
交感神経はストレスや情動による中枢神経の活動性の変化を全身の臓器へ伝達する主要な経路である。
神経系による免疫調節においても中心的な役割を果たしていると考えられる。
ストレスと免疫との関連はあるのか?
①交感神経によるリンパ球の体内動態の制御
交感神経興奮
→β2アドレナリン受容体リンパ球に出現
→血液とリンパ球液のリンパ球が急速に減少
リンパ液の流れ
引用:中外製薬
リンパ球は
リンパ節→リンパ液
→リンパ液と血液が合流
→血流→リンパ節(再び戻る)
というかたちで全身を巡回する。
β2アドレナリン受容体刺激→リンパ球減少のメカニズムは、交感神経からの入力がリンパ球に発現するβ2アドレナリン受容体を刺激することによって、リンパ球のリンパ節からの脱出を抑制することが示され、交感神経がリンパ球の体内動態の恒常性を保つ役割を果たしている。
リンパ球がリンパ節から脱出する頻度は、リンパ節からの脱出を促す信号と、リンパ節への保持を促す信号のバランスで決定される。
β2アドレナリン受容体刺激
→ケモカイン受容体(CCR7, CXCR4)感受性増加
※ケモカイン受容体
細胞の移動を促す分子であるケモカインの受容体。
リンパ球のリンパ節への保持を促す信号を受け取る。
β2アドレナリン受容体とケモカイン受容体の間には情報のやりとり(クロストーク)があり、リンパ球のリンパ節への保持が促される結果、リンパ球のリンパ節からの脱出が抑制される。
「神経-免疫コンバーター」
β2アドレナリン受容体とケモカイン受容体は複合体を形成する。
=分子複合体
神経伝達物質受容体と免疫受容体の分子複合体が、神経系からのインプット⤵️を
免疫系からのアウトプット⤴️に変換する
「神経-免疫コンバーター」として機能する。
③β2アドレナリン受容体を介した炎症の制御
炎症性疾患のマウス実験において
β2アドレナリン受容体の刺激は炎症を抑える。
→炎症性疾患の病気の進行を抑えられる。
病原性リンパ球のリンパ節からの脱出が抑制され、炎症部位への到達が妨げられる。
β2アドレナリン受容体の欠損は炎症を維持。
→病状が重くなる。
病原性リンパ球がリンパ節から脱出しやすく、炎症部位に到達しやすい。
βアドレナリン受容体からの入力は炎症を沈静化する方向に作用し、炎症性疾患の病態に関与する。
まとめ
交感神経の興奮は、炎症性疾患の症状が「良くなる」ことを示唆している。
免疫反応が過剰におこってしまった結果が炎症性疾患である。
交感神経はリンパ球の免疫反応を落とすことで、炎症を落ち着かせる機能を果たしている。
しかし、病原体の感染の観点におくと炎症性疾患で炎症の誘導に関わっていたリンパ球は、感染症という局面では病原体の排除にはたらく有益なリンパ球であり、それらが病原体の侵入部位に到達できなくなることは、病原体の排除を妨げ、感染症の治癒を遅らせることにつながる。
交感神経によるリンパ球の体内動態の制御は、ストレスが加わった際に感染防御という免疫の本来の機能が損なわれる、つまり「ストレスによって免疫力が低下する」ことの一因となる可能性がある。
交感神経→炎症を抑える、免疫反応を低下する。
逆説的に免疫が低下する因子があれば、免疫を高めるために副交感神経を刺激する。
ただし、副交感神経優位になりすぎると炎症反応が起きやすくなると考えられる。
安静にしてると痛みの閾値が低下する要因にも影響する?
あくまで単純な考えなので、これらに多因子が絡むとより複雑になる。
自律神経のバランス、免疫と炎症のバランスなど様々な身体バランスを考えなければならない。
引用:「病は気から」の根拠を実験的に証明
交感神経による免疫制御の
メカニズムの一端を明らかに
Nov. 27, 2014
歩行時のHCの重要性
歩行のときに、IC (Initial contact)= HC (Heel Contact)できているかどうかの評価は大切です。
下肢疾患や腰部痛、うつ病、精神疾患、高齢者などで、LRやMStがICになっている方はたくさんいます。
評価
歩行時のIC=HCができているかを評価します。
簡単です。
3つのポイントを覚えておいてください。
①踵から接地しているか
②つま先の向きが進行方向と一致しているか。
③足音
シンプルです。
この3つを見ていきます。
①歩行のとき(IC)に踵をついているかどうか。
そのままです。
②つま先の向き
つま先の向きが進行方向と同じ、もしくは20°外向きまでは許容範囲です。
真っ直ぐ 0〜20° 外向きの範囲です。(正常は足角7°)
その範囲以外になると足→膝→股関節→腰部等の上行性運動連鎖により、身体負担が増加します。
あとはつま先の向きに合わせて、膝の向きも同列にあるかを見ます。
Toe-in, To-outしていないか。
膝OAや高齢者だとwide baseでの歩容の方が多いです。
足底の荷重ラインも把握しておくとよいです。
おおよその目安くらいで大丈夫です。
靴の減り方もみたりします。
とりあえず、「つま先と膝の向きは進行方向へ一致させる。もしくは近づける。」
これだけでも覚えておくと楽になります。
③足音
「足音がするかどうか」
これだけです。
足音はそのまま、LRやMStでの歩行を意味します。
踵からつけば足音はあまりしません。
ぺたんぺたんやずっずっのように床とのクリアランスの低下等により、すり足のようになっている方がいます。
所作でもそうですが、動作時の“音”は大事です。
「音を立てないように動いているかどうか」
ここをみます。
運動学
IC=LRは衝撃吸収が上手く処理できず、ダイレクトに下肢や腰、体幹、肩、頸部など多くの身体部位、身体全体に負担がかかります。
体重の約3倍の衝撃を処理するためにはHCの役目は大事です。
また、つま先接地、すり足からのつまずき、転倒リスクを防止。
足背屈、下肢伸展、身体図式などの意識付けもできる。
HC優位にすることで身体負担が減り、疼痛が軽減する例も多く見られます。
リスクとして膝OAなどの下肢疾患があると適応のためにICをLR, MStにしている場合があります。
そのため、歩幅、歩隔、歩行速度など疼痛や可動域等の負担を考慮して行う。
無理にHCを誘導しないということです。
適応≒代償のバランスを考える必要があります。
補足
補足ですが、歩行分析が難しいと思う方は、患者さんにゆっくり歩行するようにお願いしてみてください。
ゆっくり歩行することで、その方の歩行の“弱点”がわかります。
左右にふらついたり、片足立位時間が短かったり、背中が曲がっていたり。
色んな要素を視覚的に確認しやすくなります。
基本動作やADLもそうですが、ゆっくりやることでごまかしが効かなくなり、患者本来の身体機能が露呈します。
自転車もそうですよね。
自転車は速いほうがバランスをとるのが楽で、ゆっくりのようがバランスは難しい。
漕ぎ始めが難しいように、動作速度をゆるめることでセラピストの評価負担が減ると思います。
もちろん平行棒内や壁の近くなどでやる等のリスク管理を忘れずに。
歩行分析が難しいと思う方は、「ゆっくり動作をやってもらう」
まずはここから始めてみてください。
1日20分の日光浴でビタミンDを生成
1日20分の日光浴でビタミンDを生成
日光を浴びると、体内では「ビタミンD」が生成される。
ビタミンCなどほかのビタミンは体内で合成できない栄養素だが、ビタミンDだけは唯一、食材だけでなく日光を浴びることでも体内で作ることができる。
私たちの皮膚の細胞は太陽光のUVB(紫外線B波)の刺激を受けるとコレステロールに作用し、ビタミンDに変化する。
【日光浴・ビタミンDの効果】
・骨生成促進
・筋力アップ
・心疾患予防
・認知症・うつ予防
・糖尿病予防
・メタボ予防
・がん予防
・免疫力向上
ビタミンDには、免疫系の細胞の働きを良くする作用がある。
炎症を抑制する働きがあり、炎症がもととなって発症する動脈硬化や糖尿病、がんの発症リスクを下げる。
血管で繰り返し炎症を起こせば動脈硬化に、脂肪細胞で炎症が起きれば糖尿病になると考えられている。
がんも慢性炎症の1つで、ビタミンD不足だと乳がん、前立腺がん、大腸がんなどにかかりやすくなり、不足の程度がひどいと悪性度の高いがんができる傾向にある。
認知症も、脳細胞の炎症という見方がある。神経学術誌『Neurology』に掲載された論文によると、アルツハイマー型認知症の群とそうでない群を比較すると、アルツハイマー群ではビタミンD濃度が低い。
最近はインフルエンザや花粉症、うつ病、発達障害などの発症とビタミンD濃度との関連も指摘されている。
さらにビタミンD濃度が高いほど全死亡率が減少することがわかっている。
英国医師会雑誌『BMJ』で2014年、「血中のビタミンD濃度が10ng/ml低下すると、死亡率が16%上昇する」と発表された。
ヨーロッパの全死亡の約9%、米国のおよそ12%にビタミンD欠乏が関与する、ともある。
日本での大人のビタミンD欠乏に関する大規模なデータはないが、不足している人が多いと指摘する専門家が少なくない。
理由は2つあり、1つは同じようなライフスタイルで暮らす韓国で、調査対象の7割超がビタミンD欠乏症だったという報告がある。
もう1つは、日本では1975年頃まではむしろ日焼けが奨励されていたが、「紫外線ががんを誘発する」という報告があってから現在では子供の頃から徹底的に日焼け止めを塗る習慣が定着しているためだ。日焼け止めは肌の炎症を促進するというUVA(紫外線A波)だけでなく、ビタミンDを生成するUVBもカットしてしまう。
特に妊婦さんや子供、高齢者は日光が不足しないように気をつけなければならない。
妊婦さんがビタミンD不足だと生まれてくる子がアトピー性皮膚炎やアレルギー、小児喘息になりやすいことがわかってきている。
それではどれくらいの時間、日光浴をしたらいいのか。
国立環境研究所らの研究チームによると、紫外線の弱い冬の12月の正午(つくば)で両手・顔を露出したと仮定した場合、22分の日光浴で必要量のビタミンD(厚生労働省の日本人食事摂取基準で示される5.5μg)を生成することができると報告されている。
それを基準とし、最低でも一日20分程度と心がける。
季節により変動するので以下を参照していただきたい。
ただし、厚労省のビタミンDの目安量は骨のビタミンとしては足りるのかもしれないが、免疫系に働く万能ビタミンとしては少なすぎる。
また日本ビタミン学会や骨粗鬆症財団も「冬なら手や顔を1時間程度日に当てること」を推奨しているため、免疫力が低下していると感じるときほど、できる限り日光を浴びることを意識する。
またビタミンDが豊富な食材を摂取することも大切。
ビタミンDにはD2とD3があり、植物由来のD2はきのこなどに、動物由来のD3は魚に多く含まれ、体内で実際に働くのはD3といわれる。
また、日光浴は、セロトニン、ドーパミンの分泌を高めるので、ストレスや睡眠障害の軽減なども期待できる。
日焼けが気になる人は「手のひら日光浴」でも効果がある。
手のひらは体の他の部位と比べると、メラニン色素が少ないので日焼けするリスクが低い。
外に出て手のひらを陽に当てて、夏なら15分で冬なら30分以上おこなう。
じっとしておく必要はなく、手のひらを意識しながらウォーキングやガーデニングをおこなえる。
もちろん日光浴による紫外線のデメリットもある。
気象庁による筑波での観測結果(1991~2016年)では、25年間で12%の紫外線の増加が確認されている。
日光の中の紫外線は、私たちの健康に様々な悪影響を及ぼす。
【紫外線のデメリット】
急性 日焼け
紫外線角膜炎
免疫機能低下
慢性 皮膚のシワ、シミ、日光黒子
前がん症
皮膚ガン
翼状片
肌が弱い人や日焼けしたくない顔などは、日光浴をする前に日焼け止めでしっかりと準備する。
日光浴は地域によって時間が異なり、季節によっても紫外線の量が変わるので、体の負担を慎重に判断しながら行う必要がある。
また日光浴をした後のアフターケアも大切なので、腕や顔にローションをつけたり、ヒリヒリする場合は冷たいタオルで冷やしたりする。
長時間の日光浴は、紫外線のダメージを受けてしまうので、タイマーを使って時間を確認するのも必要である。
“MRIではなく、あなたの患者を治療してください!”
なかなか衝撃的なタイトルです。
現在、画像所見は医療にとって重要であり、原因を解明する手段の一つです。
しかし、それらに盲信、装飾してしまい、容易に原因を断定してしまっていることも事実です。
何が真実か否か。
見極める必要があります。
CT,MRI,エコーによる異常所見は異常でしょうか?
Leeらは、無症候性エリートバレーボール選手の肩にMRIを行った。それらのすべて(100%)は、65.4%の(部分的な)腱板損傷、88.5%の腱障害、および46.2%の唇裂および/またはほつれに至るまで、病理学的所見を有していた。
98人のエリートジュニアテニス選手(平均年齢、18歳)の腰椎のMRIは、そのうちの94人に異常を示した。椎間板変性は62.2%、椎間板ヘルニアは30.6%であった。
無症候性非アスリートの研究では、異常な股関節所見の有病率は73%であった。
また、膝の痛み、怪我、骨または関節疾患の既往がない44人の無症候性個人(20~68歳)について、膝のMRIは43人で異常を示した。
“これらが何を結論づけるのか?”
術後の悪影響、予後の悪化の研究もあります。
いくつかの研究は、オーバーヘッドアスリートのための手術はめったに成功しないことが示されている。
Andrewsらは、オーバーヘッドアスリートの92%がローテーターカフ修復手術後、以前の競争基準を取り戻すことができなかったと報告した。
つまり、10人に1人だけが「治癒した」ということです。
別の研究では、SLAP病変修復手術後に以前の競技レベルを取り戻すことができたオーバーヘッドアスリートは63%に留まっていることが示されている。
「2040年の医師と患者」をテーマにしたオランダ王立医師会の170周年記念会議で、代表団は
「2040年の患者にとって、何が最も重要だと思いますか?」と尋ねられ、
「人として見ること、聞くことです。人間は実験室の結果とMRI画像の集合体ではない。」と答えました。
歴史を知ること(つまり、患者の話を聞くこと)で、作業仮説を立てることができる。
身体検査は、この仮説を支持したり、否定したりすることができます。
MRIはその結果を確認したり、否定したりするためのものです。
しかし、MRIで異常所見が出た場合は、病歴や身体所見に戻って、患者さんに訴えがこの異常所見に起因するものかどうかを確認する必要があります。
そうでない場合は治療してはいけません。
私たちは目の前の事象に目を向けてしまうことが多く、本質が何かを置き去りにしていまいます。
本当にその患者、その「人」に必要なものが何かを考える必要があります。
引用:Treat your patient, and not his MRI!
C Niek Van Dijk 2019
サピエンス全史
虚構、科学革命、帝国、貨幣、イデオロギー、資本主義により人類は進歩した。
しかし、幸福度と相関する証拠はない。これは「人類の歴史理解にとって最大の欠落」とし、「この欠落を埋める努力をするべきだ」と提案する。
そしてサピエンスは特異点に至る。
「歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではない。歴史が歩を進めるにつれて、人類の境遇が必然的に改善されるという証拠は全くない」
「歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ」
本当に「人」の歴史を紐解くことで視野を広げてくれた一冊。
沢山の価値観を与えてくれた。
感銘を受けました。
幸福とはなにか。
幸福とは「主観的厚生」である。
幸福とは、たった今感じている快感であれ、自分の人生のあり方に対する長期にわたる満足感であれ、心の中で感じるものを意味する。
ある研究では、年収の少ないグループの主観的厚生の平均的水準値が7.3にすぎなかったのに対して、年収の多いグループの平均値が8.7であった。
結果として、富は幸福をもたらす。
だがそれは、一定の水準までで、そこを超えると富はほとんど意味を持たなくなる。
病気は短期的には幸福度を下落させるが、長期的な苦悩の種となるのは、それが悪化の一途をたどったり、継続的で心身ともに消耗させるような痛みを伴ったりする場合に限られる。
糖尿病のような慢性疾患の診断を下された人々は通常、しばらく落ち込みはするものの、病状が悪化しなければ、この新たな状況に適応して、健康な人々と変わらないほど高い評価を自分の幸福度につける。
家族やコミュニティは、富や健康よりも幸福に大きな影響を及ぼす。
緊密で協力的なコミュニティに暮らし、強い絆で結ばれた家族を持つ人々は、家庭が崩壊し、コミュニティの一員にもなれない(もしくは、なろうとしたことのない)人々よりも、はるかに幸せである。
結婚生活は重要である。
良好な結婚生活と高い主観的厚生、そして劣悪な結婚生活と不幸の間に、きわめて密接は相関関係があることは、研究によって繰り返し示されている。
この相関は、経済状況ばかりか健康状態とさえ関係がない。
貧しい上に病にふせっていても、愛情深い配偶者や献身的な家族、温かいコミュニティに恵まれた人は、その貧しさの程度があまりにひどかったり、病が悪化する一方だったり、痛みが強かったりするのでなければ、孤独な億万長者より幸せだろう。
だが、何にもまして重要な発見は、幸福は客観的な条件、すなわち富や健康、さらにはコミュニティにさえも、それほど左右されないということである。
幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。
状況が改善すると期待も膨らむので、結果として客観的条件が劇的に改善してもなお、満足が得られないこともある。
状況が悪化すると期待もしぼむので、結果として大病を患ってもなお、それまでとほとんど変わらず幸せでいる場合もある。
現代人は、鎮静剤や鎮痛剤を必要に応じて自由に使えるものの、苦痛の軽減や快楽に対する期待があまりに膨らみ、不便さや不快感に対する堪え性がはなはだ弱まったために、おそらくいつの時代の祖先よりも強い苦痛を感じている。
すべては「期待」の問題である。
不老不死でさえ不満につながるかもしれない。
科学があらゆる疾病の治療法や効果的なアンチエイジング療法、再生医療を編み出し、人々がいつまでも若くいられるとしたらどうするか?
おそらく即座に、かつてないほどの怒りと不安が、蔓延する。
新たな奇跡の治療法を受ける余裕のない人々、つまり人類の大部分は、怒りに我を忘れる。
歴史上つねに、貧しい人や迫害された人は、少なくとも死だけは平等だ。
金持ちも権力者もみな死ぬのだと考えて、自らを慰めてきた。
貧しい者は、自分は死を免れないのに、金持ちは永遠に若くて、美しいままでいられるという考えにはとうてい納得できない。
だが、新たな医療を受ける余裕のあるごくわずかな人々も、幸せに酔いしれてはいられない。
新しい治療法は、生命と若さを保つことを可能にするとはいえ、死体を生き返らせることはできない。
愛する者たちと自分は永遠に生きられるけど、事故やテロ、災害など、非死でいる可能性のある人たちはおそらく、ごくわずかな危険を冒すことさえも避けるようになり、配偶者や子供や親しい友人を失う苦悩は、耐え難いものになる。
また、主観的構成を生化学的要因や遺伝的要因と結びつけると、私たちの精神的・感情的世界は、何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されている。
他のあらゆる精神状態を同じく、主観的構成も給与も社会的関係、あるいは政治的権利のような外部要因によって決まるのではない。
そうではなく、神経やニューロン、シナプス、さらにはセロトニンやドーパミン、オキシトシンのようなさまざまな生化学物質から成る複雑なシステムによって決定される。
人間を幸せにするのは、ある一つの要因、しかもたった一つの要因だけであり、それは体内に生じる「快感」だ。
嬉しいことが起きた時、その対象に反応しているのではなく、血流に乗って全身を駆け巡っているさまざまなホルモンや、脳内のありこちで激しくやりとりされている電気信号に反応している。
人間の体内の生化学システムは、幸福の水準を比較的安定した状態に保つようにプログラムされている。
幸福そのものが選ばれるような自然選択は決してない。
幸福と不幸は進化の過程において、生存と繁殖を促すか、妨げるかという程度の役割しか担っていない。
進化によって私たちが極端に不幸にも、極端に幸福にもならないように形成されていても不思議ではない。
私たちはあふれんばかりの快感を一時的に味わえるものの、そうした快感は永続しない。
それは早かれ遅かれ薄まっていき、不快感に取って代わられる。
快感は生存システムと隣り合わせに備わっている。
空調システムの設定温度の快感は個人により異なるように、人間の幸福度調節システムの設定も、一人ひとり異なる。
陽気な生化学システムを生まれ持つ人もいれば、陰鬱な生化学システムを生まれ持つ人もいる。
何か楽しいこと、達成したこと、嬉しかったことがあっても、私たちの生化学的特性は変わらない。
ほんの束の間、生化学状態を変動させることはできるが、体内のシステムはすぐに元の設定点に戻ってしまう。
結婚したから幸せではなく、幸せだから結婚できたかもしれない。
必ずしも結婚が幸福をもたらすことを意味しない。
より正確に言えば、セロトニンやドーパミン、オキシトシンが婚姻関係を生み出し、維持する。
陽気な生化学的特性を持って生まれた人は、配偶者として魅力的であり、結婚できる可能性は高い。
逆に陰鬱な生化学的特性を持つものは、たとえ結婚したとしても、今より幸せになれるとは限らない。
幸福は主に生化学によって決定され、心理学的要因や社会学的な要因にもそれぞれの役割がある。
私たちの心の空調システムは、あらかじめ設定された範囲内で自由に推移できる。
セロトニンは外的刺激により分泌されるが、分泌されたセロトニンが達する濃度は変えられないため、幸福度を設定範囲内以上に増大させえない。
この生化学に基づく主張を何よりもうまく捉えているのが、「幸せは身の内より欲する」である。
お金や社会的地位、美容整形、壮麗な邸宅、権力の座などはどれも、あなたを幸せにすることはできない。
永続する幸福感は、セロトニンやドーパミン、オキシトシンからのみ生じる。
快感の強度や持続時間が生化学によって制限されていることを思えば、人々が長期にわたって高い水準の幸福を経験するためには、生化学システムをそうさする以外に方法はない。
だが、この幸せの定義に批判もある。
カーネマンの研究から、子育ては相当に不快な仕事であると判明した。
しかし、大多数の親は子供こそ自分の幸福の一番の源泉であると断言する。
ここに矛盾が生じる。
これは、幸福とは不快な時間を快い時間が上回ることではないのを立証していると考えられる。
幸せかどうかはむしろ、ある人の人生全体が有意義で価値あるものと見なせるかどうかにかかっている。
幸福には、重要な認知的、倫理的側面がある。
ニーチェの言葉にもあるように、あなたに生きる理由があるのならば、どのような生き方にもたいてい耐えられる。
有意義な人生は、困難のただ中にあってさえもきわめて満足のいくものであるのに対して、無意味な人生は、どれだけ快適な環境に囲まれていても厳しい試練にほかならない。
幸福とは、人生という今を有意義に送れているかどうかなのかもしれない。
しかし、人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものも単なる妄想にすぎない。
幸福は人生の意義についての個人的な妄想を、その時々の支配的な集団的妄想に一致させることなのかもしれない。
個人のナラティブが周囲の人々のナラティブに沿うものである限り、個人は自分の人生には意義があると確信し、その確信に幸せを見いだすことができるということになる。
幸福が快感を覚えることに基づくのなら、より幸せになるためには、生化学システムを再構築する必要がある。
幸福が人生には意義があると感じることに基づくのならば、より幸せになるためには、私たちはより効果的に自分自身を欺く必要がある。
この二つの共通の前提は、幸福とはある種の主観的感情だあり、ある人の幸福度を判断するためには、どう感じているのかを尋ねるだけで足りるということである。
仏教はおそらく、人間の奉じる他のどんな信条と比べても、幸福の問題を重要視していると考えられる。
二五〇〇年にわたって、仏教は幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた。
科学界で仏教哲学とその瞑想の実践の双方に関心が高まっている理由もそこにある。
仏教によれば、たいていの人は快い感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。
その結果、自分の感情に重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。
感情は、海の波のように刻一刻と変化する、束の間の心の揺らぎにすぎない。
快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。
だが、仮にそれに成功したとしても、ただちに一からやり直さなければならず、自分の苦労に対する永続的な報いはけっして得られない。
苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、空しく求め続けることである。
感情の追求をしても、決して心を満たされることはない。
感情は絶え間なく湧き起こっては消えていくものだと理解する。
特定の感情を渇愛する渇愛するのをやめさえすれば、どんな感情もあるがままに受け入れられるようになる。
真の幸福とは内なる感情とも無関係であるというものだ。
外部の成果の追求をやめ、内なる感情の追求もやめることである。
主観的厚生を計測する質問票では、私たちの幸福は主観的感情と同一視され、幸せの追求は特定の感情状態の追求と見なされる。
対照的に、仏教をはじめとする多くの伝統的な哲学や宗教では、幸せへのカギは真の自分を知る、すなわち自分が本当は何者なのか、あるいは何であるのかを理解することだとされる。
幸福の本質は、自分の真の姿を見抜けるかどうかである。
引用