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これから「健康」の話をしようか

理学療法士。健康、医療、読書のことについて書いていきます。

アポトーシス 「死の遺伝子」

 

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“ヒトとは心を引き継ぐ存在である”

 

死の遺伝子:23対ある染色体の3番目にある

 

アポートシス

細胞が生まれたと同時に死の遺伝子が活動を開始。

主に2種類の酵素を作る。

細胞が活性酵素や紫外線、放射線、ウイルスなどによってダメージを受けて修復できなくなった時、

2種類のうちの酵素のうちひとつがまず細胞の形を維持している細胞骨格を切断する。

次にDNAを細かく切断。

切断されたDNAは細胞膜などで作られた小さな袋の中に取り込まれていく。

この袋はアポトーシス小体と呼ぶ。

こうして小さな袋の集まりとなってDNAは死んでいく。

DNAが細胞の外に漏れると自己免疫疾患のような重い病気の原因になる。

アポトーシスの本質は“DNAを消去すること”。

 

死んだ細胞はマクロファージに取り込まれて消化される。

 

毎日3000億個の細胞が死ぬ。

そして同じ数だけの細胞が全て生まれ変わる。

 

皮膚の寿命は28

赤血球は3ヶ月

肝臓は1

で細胞は入れ替わる。

神経細胞、心筋細胞は何十年と生きる。

多くの細胞は1年で入れ替わる。

人間の総細胞は60兆個(37兆個の説もある)。

200日で身体の全ての細胞が入れ替わる。

 

死があることで生命は維持されている。

 

活性酸素などでダメージを受けた細胞は、細胞の中にはすでにアポトーシスを実行するための酵素や色んなタンパクが不活性の状態で内臓されてセットアップされている。

そこに免疫細胞が来て異常を起こした細胞に「死ね」という死のシグナルを送られる。

細胞が自ら自分自身の状況を判断してアポトーシスを起こすどうか自己判断する。

 

細胞を個とすると細胞社会では細胞が全体を理解して状況判断をして自らの運命を決めていく。

 

 

 

 

細菌 - Wikipedia

 

地球最初の生命はおよそ38億年前海で生まれた細菌だと考えられている。

それから現在まで生存している細菌にプログラムされた死はない。

 

大腸菌細胞分裂で限りなく増え続ける。

環境が悪くなったり他の生物に食べられたりしない限り寿命が尽きて自ら死ぬということはない。

死の遺伝子がなく不老不死である。

 

 

地球上の生物は細菌、植物、動物、菌類、原生生物に分けられる。

死が生まれたのは今から約15億年前に、

細菌以外の生物のもとが生まれ、有性生殖をする生物が生まれたときに「死」は始まった。

精子卵子から作られた受精卵は親とは異なる様々な遺伝子の組み合わせを持つことになる。

その結果、組み合わせた遺伝子の中にはよくないものがある。

それを消去していく最も確実な方法が「死」である。

 

生物は不老不死と引き換えに有性生殖によって遺伝子を組み替える道を選んだ。

その結果、海から陸まで様々な環境に適応して繁栄できるようになった。

 

有性生殖の大きな特徴は遺伝子を組み替えるということ。

組み換えのシステムと死ぬということは独立に進化してきた。

それが合体したのが有性生殖

地球上で最も繁栄していることを考えると有性生殖のシステムは重要である。

 

生きている間に活性酸素等で遺伝子のDNAに傷が溜まってくる。

ヒトが死ななかった場合、その傷が子孫にどんどん蓄積されていき、

ホモ・サピエンスは存続できなくなる。

そこを回避するシステムとしてある時間が経った時に傷が溜まった古い遺伝子を個体ごとに消去していく。

そのために細胞のひとつひとつに死をプログラムして時間が経つと死ねるようにしていった。

それが個体の死の本質である。

 

自ら死んでいくという実勢を獲得することによって生命・種が長く続くようになっている。

宇宙的に生命を見てみると全ての生命は絶えずダイナミックに循環している。

私たちは有限な時間を与えられて生きている。

それは自然の摂理である。

 

 

 

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問われる死生観。

いつかは終わりがくる。それを認められない人は多い。

日頃から死生観を考えて生きている人は少ない。

死とは何か?

自分なりの考えを持っていれば例え死が身近に迫ったとしても前向きに生きることができるのではないか。

有性生殖ができてから死は生まれた。それこそが死生観である。

系統の中の一世代の一個体にすぎないことを理解する。

やみくもに完治しない病気、寿命にたいして抵抗、否認をするのではなく、

残った時間でいかに生きがいを見つけられるかに時間を費やす。

 

人は生きているほうから死を見てしまう。

死はずっと遠くのほうにあって霧の中に隠れてしまってあたかも死がないように思うが、そうではなく、必ず死はあるという前提をもって自分をその終焉において今の生きている立ち位置を考える。

死生観、未来への入り方を考える。

 

人は有限の時間を与えられて生きているが、色んな人と出会って色んなことを思う。

その出会いはなんであったのかというのは長い時間をかけていかなければわからない。

そういう時間の中で育まれていく人を思う愛情や良い精神を次の世代にバトンタッチすることができる。

その心をバトンタッチできるのは人間だけ。

“ヒトとは心を引き継ぐ存在である”

 

死は避けるものではなく、前向きになれるものである。

そのために今、生きていることを、死ぬことを、どうあるべきかを考える必要がある。

死があるから生がある。

死がなければ生はない。

 

 

 引用:サイエンスゼロ NHK   

   アポトーシス プログラムされた死

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   「生きるのも日常、死んでいくのも日常」